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サイード佐藤 — 300

18:54 われら*は確かに、このクルアーン*の中であらゆる譬えを、人々に対して多彩に示した。そして人間はもとより、最も議論ばかりしている生きものである。

18:55 人々に導き[1]が到来した時、信仰し、自分たちの主*にお赦しを乞うことから阻んだのは、昔の人々(に対するアッラー*)の摂理[2]が自分たちに訪れること、または懲罰が彼らの眼前に訪れる(のを、彼らが自ら要求した)こと以外の何ものでもなかった。[3]

18:56 そして、われら*が使徒*たちを遣わすのは、吉報を伝え、警告を告げる者[1]としてに外ならない。けれども、不信仰に陥った者*たちは真理を消し去るべく、虚妄によって議論する[2]。わが御徴[3]と、彼らが警告されたもの(懲罰)を嘲笑の的としつつ。

18:57 自分の主*の御徴によって戒められてから、それに背を向け、自分の手が行った(醜悪な)物事を忘れてしま(い、悔悟しなか)った者よりも、ひどい不正*を働く者があろうか?本当にわれら*は、彼らがそれ(クルアーン*)を理解できないように、彼らの心には覆いを、その耳には重しをかけたのだ[1]。たとえあなたが彼らを導きへと招いても、それでも彼らは永遠に導かれまい[2]。

18:58 あなたの主*は、赦し深いお方、慈悲の主。もしかれが、彼らが稼いだもの(罪)ゆえに彼らをお咎めになれば、彼らに対する懲罰をお急ぎになったであろう。(だが、アッラー*は懲罰をお急ぎにはならない、)いや、彼らには、彼らがそこから逃げ場を見出すことがない、(決められた)約束[1]があるのだ。

18:59 また、それらの町々(の人々[1])は、(不信仰という)不正*を働いた時、われら*が滅ぼした。そしてわれら*は彼らの滅亡に、約束の期限を定めておいたのである。

18:60 ムーサー*がその従者[1]に、(こう)言った時のこと(を思い起こさせよ)。「私は二つの海が交わる場所に着くまで、あるいは長時間歩み続けるまでは、(旅を)やめない」。[2]

18:61 それで二つ(の海)が交わる場所に到着し(、岩に腰を下ろし)た時、彼ら二人は自分たちの(食事として携えてきた)魚を忘れてしまった。そしてそれ(魚)は、(生き返って海に潜って行き、)海中の、トンネルの道を進んで行った。[1]